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東京高等裁判所 昭和28年(ネ)796号 判決 1954年3月18日

控訴人 日本労働組合総評議会

訴訟代理人 小林直人

被控訴人 国 代表者 法務大臣 犬養健

指定代理人 浜本一夫 外二名

訴変更前の被控訴人 厚生大臣 草葉隆内

主文

原判決を取り消す。

控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。

事実

第一訴の変更前における当事者双方の申立および主張。

控訴代理人は、原判決を取消す、控訴人が昭和二八年一月三〇日附でした、昭和二八年五月一日メーデーのための皇居外苑使用許可申請にたいして被控訴人が同年三月二三日にした不許可処分を取消す、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とするとの判決を求め、

被控訴人の本件は訴の利益がないとの主張にたいし、被控訴人の右主張は、本件が行政事件訴訟特例法(以下特例法という)第一条にいう「行政庁の違法な処分の取消」を求める形成の訴であることを無視した失当のものであつてひいて憲法に違反することつぎのとおりである。

(一)  もし訴の目的が昭和二八年五月一日に皇居外苑を使用せしめよというにあるならば同日を経過すれば、訴の利益は失われるであらう、しかし本件訴の目的は、被控訴人の行つた違法な行政処分の取消を求めているのである、その違法処分は被控訴人みずから取消さぬ限り、同日を経過した今日でも依然として存在しているのであり、違法な行政処分を受けたという控訴人の不利益は依然として存在しているのであつて、行政権の違法行使に対する救済是正の必要は、同日の経過によつて消失するものではない、けだし形成の訴は法律に明文ある場合に限つて認められるものであり、その要件をみたしている限り形成判決を請求しうるものであつて、給付または確認の訴とは要件を異にするものである、また特例法第一一条によれば、行政庁の違法処分の取消を求める訴の提起があつた場合において、処分は違法であるが、一切の事情を考慮して処分を取消すことが、公共の福祉に適合しないと認めるときに限り、裁判所は請求を棄却することができるものであるから、この法条の反面解釈として本件訴は昭和二八年五月一日を経過した後においても訴の利益を喪失するものでないことがむしろ明白である、被控訴人は本件訴が形成の訴であることをみのがしているのである。

(二)  もし被控訴人のごとく、昭和二八年五月一日を経過したことによつて、本件訴の利益を失うものと解するならば、つぎに記すような特定の一群の行政処分にたいしては、窮極において司法審査が行えない結果となるが、かかる結果を容認することは憲法第七六条第二項の行政機関は終審として裁判を行うことができないとの保障に反し、また憲法第三二条の国民の裁判を受ける権利の保障にも反し、ひいては憲法の基本構造たる三権分立の趣旨に反するものである、すなわち、たとえば本件のように毎年五月一日にメーデー挙行のため皇居外苑使用の許否を行うというような比較的短い週期で繰返される性質の行政処分に関してはつぎのことがいえる、この種の申請は前年度の行事挙行後に申請しなければ受理されるものではない、申請にたいして違法な不許可処分を受けた場合、その違法処分の取消を求める訴を提起するとして、もしその訴の利益を失わぬためには、一年未満のうちに訴訟を確定させなければならないが、現行三審制度のもとにおいては、主として裁判所自体の審理の都合からこのことは不可能となる、そうなるとこの種の行政権の違法行使にたいしては、せいぜい訴願できるくらいで、行政庁の違法処分の取消を求める行政事件訴訟を提起しても、その審理の中途で訴の利益を失つたという名目のもとに裁判所から実体判断を拒まれてしまい、司法審査は不可能だという結論にみちびかれる、この種の行政処分は決してすくなくはなく、むしろ行政権行使の相当部分を占めるものであると考えられるのに、これら特定の一群の行政権行使は司法権に対して治外法権となるのである。

このような違法な結果をかえりみない被控訴人の主張には根本的欠陥があるといわなければならない、本件の場合を含む比較的短い週期で繰返される性質の行政処分に関する抗告訴訟の場合においては、いわゆる実施期日を経過しても訴の利益は失われないと解さなければ前記憲法の法条に適合することができないと信ずると述べ。

被控訴人厚生大臣指定代理人は、本件控訴を棄却する、訴訟費用は控訴人の負担とする、との判決を求め、答弁として、控訴人の本訴請求は訴の利益を欠くから失当として棄却されるべきである、本訴請求は控訴人の「昭和二八年五月一日メーデーのための皇居外苑使用」の申請について被控訴人がした不許可処分の取消を求めるというのである、されば五月一日のすでに過ぎ去つた現在においては、控訴人は本件行政処分の取消を得てもなんら益すところはないといわなければならない、控訴人の本訴請求は結局法律上の利益を有しないものとして失当たるを免れない(最高裁判所昭和二六年(オ)第一二三号同年一〇月二三日第三小法廷判決、最高裁判所判例集第五巻第一一号六二七頁、最高裁判所昭和二五年(オ)第一七七号昭和二七年二月一五日第二小法廷判決、最高裁判所判例集第六巻第二号八八頁参照)、これと同趣旨の原判決は結局正当であつて、本件控訴は棄却されるべきものであると述べた。

右のほか、当事者双方の事実上の主張は、いずれも原判決事実らんに記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

第二訴の変更に関する当事者双方の申立および主張

控訴代理人は昭和二八年一〇月二〇日の本件口頭弁論期日において被控訴人を国に変更し、かつ請求の趣旨および原因を変更する旨申立て、

被控訴人国は控訴人にたいし、金十万円およびこれにたいする昭和二八年一〇月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払うべし、との判決ならびに仮執行の宣言を求め、請求の原因として、原判決事実らんの中、原告(控訴人)の請求の原因として記載してあるとおりに述べ(この部分は原判決の記載を引用する)、なおつぎのとおり述べた。

一、(昭和二八年五月一日の経過)本件行政事件訴訟が未だ確定しないうちに、メーデー挙行日たる昭和二八年五月一日は経過し、厚生大臣山県勝見はついに控訴人にたいする皇居外苑使用不許可処分を取消さなかつたので、爾後控訴人は厚生大臣を相手とする訴訟について訴の利益を失うにいたつた。

二、(訴変更の必要)右のように、すでにメーデー当日を経過した以上控訴人としては厚生大臣の違法な不許可処分によつて控訴人の受けた損害を国家賠償法により、国に賠償せしめる訴訟にきりかえるよりほかはない、本来の給付が不可能となつたとき訴を損害賠償に変更することは請求の基礎に変更なきものとして学説、判例ともに肯定するところであつて、行政処分の取消を求める訴についても同様に解すべきである。

三、(控訴人の受けた損害)厚生大臣の違法な行政処分によつて控訴人が物心両面にわたつて受けた損害は多大であつて見積りがたいけれども控訴人はさしあたり次に記す損害の賠償を請求する。すなわち控訴人は皇居外苑を使用できないので、やむを得ず前年の例にならい、明治神宮外苑を借用して中央メーデーを挙行した。皇居外苑は無料で使用できるが、明治神宮外苑は私有財産であり、これを使用するには使用料を払わなければならないので、五月一日控訴人は明治神宮外苑当局にたいし、金十万円の使用料を支払うことを余儀なくされた。したがつてこの金十万円は厚生大臣の違法処分によつて控訴人の受けた直接の物的損害である。

四、(被控訴人の表示の変更の必要)厚生大臣は国家賠償法にいう「国の公権力の行使に当る公務員」に該当し、厚生大臣の違法な行政処分によつて受けた損害の賠償は、処分庁たる厚生大臣にたいしてでなく、国にたいしてこれを求めるべきものであるから、いま控訴人が請求を変更して損害賠償請求にした以上国を相手方としなければならなくなる。しかしながらこの場合当事者の表示の変更は許されるべきである。何となれば、一般に当事者の変更は請求の基礎の変更を来すものであるが、この場合はそうではない。元来抗告訴訟も実質的には国の処分の取消変更を求めるものであり、理論上は国自体を被告としているにもかかわらず、訴訟技術上便宜的に処分庁を被告に立たしめているに過ぎない。したがつて本来の請求を損害賠償の請求に変更することに関連して被告を処分庁から国に変更することは実質的に観察すれば、終始一貫国が被告となつている場合と異ならずこれをもつて請求の基礎に変更を生ずると見ることは不可能であろう。したがつて特例法第七条第一項本文の規定を類推適用して本件被控訴人の表示の変更を許すべきである。

被控訴人厚生大臣指定代理人は、訴の変更申立にたいし、申立却下の裁判を求め、

その理由として、控訴人は原審ならびに当審において厚生大臣を相手方として同大臣のした皇居外苑使用不許可処分の取消を求めていたところ、右不許可処分により、損害を受けたと主張してその賠償請求の訴に変更するとともに、被控訴人たる当事者を厚生大臣から国に変更する旨の申立をし、これによつてあらたに国にたいして損害賠償の請求をする。しかし右のような被控訴人たる当事者の変更は許されないからその変更の申立という方法によつては本件を国にたいする国家賠償請求の訴にすることはできない。本件被控訴人たる当事者の変更の許されない理由はつぎのとおりである。

(一)  本件被控訴人たる当事者の変更の申立には特例法第七条第一項本文の規定は適用されない。控訴人の申立は訴を国家賠償請求の訴に変更し、その結果右訴において厚生大臣を被控訴人とすることは特例法第七条にいう被告を誤つたことになるから同条第一項本文の規定によつて被控訴人を国に変更するというにある。しかし、特例法第七条の規定が設けられた理由は、行政処分の取消または変更を求める訴にあつては、被告適格を有する行政庁が特定されているところ(同法第三条)訴を提起するに際し被告とすべき行政庁が不明確等のため、被告を誤つた場合には改めて被告適格を有する行政庁を被告としてあらたに訴を起しなおさなければならないとすると、行政処分の取消変更を求める訴については出訴期間の定めがあるので(同法第五条)あらたに訴を提起する時にはすでに出訴期間を経過しており、結局裁判による救済を得られない場合が往々にあることを顧慮し、これを救済するためである。したがつて特例法第七条第一項本文の規定によつて被告の変更の許されるのは、その明文の示すとおり「第二条の訴」すなわち行政処分の取消または変更を求める訴に限るのである。しかるに本件国家賠償請求の訴は行政処分の取消または変更を求める訴でないことはもちろん特例法第一条にいう公法上の権利関係に関する訴訟でさえなく、通常の民事訴訟であるから本件については特例法第七条第一項本文の規定が適用または類推適用される余地はない。

仮に類推適用されるとしても、この規定は、その文言からも明かなように、「被告とすべき行政庁を誤つたとき」にのみ適用され、右規定によつては、被告を他の行政庁に変更することのみが許されるのであつて、本件被控訴人たる当事者変更の申立のように被告を行政庁以外のものである国に変更することはとうてい許されない。

(二)  控訴人は被告を誤つたことについて故意または重大な過失がある。

仮に本件国家賠償請求の訴において、控訴人主張のように被控訴人(被告)たる当事者の変更が本来許されるべきものであるとしても、控訴人が同一書面をもつて右訴の変更および当事者変更の申立をしている事実に徴すれば、控訴人はみずから請求を変更することによつて被告を誤つたことになり、従つてこれについて故意があつたものというべきであり、特例法第七条第一項但書に該当するものとして許されないところである。

なお、控訴人は被控訴人を厚生大臣から国に変えることは被控訴人の表示の変更として許されると主張するようであるが、表示の変更は単に表示を誤つた場合にその同一性を害しない限度においてそれを訂正することであつて、これは特例法第七条の規定とはかかわりなく許されるのである、ところが被控訴人を厚生大臣から国に変更することは、単なる表示の訂正ではなく、実質的に当事者を変更することであるから控訴人の主張はとうてい首肯しがたいと述べた。

被控訴人国指定代理人は、控訴人の被控訴人国にたいする本件訴を却下する、控訴人と被控訴人国との間に生じた訴訟費用は控訴人の負担とするとの判決を求め、答弁として被控訴人厚生大臣と同様に述べ仮に被控訴人国にたいする本件訴が適法であるならば本件を東京地方裁判所に差戻す、との判決を求めた。

第三証拠

当事者双方の証拠の提出援用認否は原判決事実らん記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

理由

第一訴の変更は適法である。

按ずるに、控訴人は第一審以来昭和二八年一月三〇日控訴人が厚生大臣に、同年五月一日メーデーのための、皇居外苑使用許可申請をしたのにたいして厚生大臣は同年三月二三日これを許可しない旨決定して控訴人に通知してきたとの事実を主張し、右の不許可処分は違法な行政処分であるとして、その取消を求めていたのであるが、当審においては前記の事実そのままを主張し、かつ前記と同様、その行政処分の違法は主張するが、その取消を求めることはやめこの行政処分によつて損害をうけたとの事実主張をつけ加えて、その賠償を求めるというのである。これは訴の変更であることは明かであるが、民事訴訟法第二三二条第一項にいうところの請求の基礎については、前後全く同一であると認めるのが相当であり、右変更はこれによつて著しく訴訟手続を遅滞させるものとも認められないから、民事訴訟法上ゆるされている請求及び請求の原因の変更と認めるべきである。

なお控訴人は右変更と同時にこれまでの相手方当事者たる厚生大臣を国に変えようとするのであるから、かかる変更が法律上ゆるされるかどうかを考えなければならない。

民事訴訟法においては、訴訟物たる権利関係の承継のあつた場合その他特に法律に定のある場合のほか、当事者を変更することはゆるされず、従つて当事者の交替による訴の変更ということはあり得ないところである。特例法第七条は行政処分の取消又は変更を求める訴について、原告が、被告とすべき行政庁をまちがえた場合に訴訟の係属中被告を他の行政庁に変更することができる旨を定めているけれども、これは、そのまま本件の場合に適用すべからざることは明白である。

しかし、特例法が、その第三条において行政処分の取消又は変更を求める訴は他の法律に特別の定ある場合を除いて、その処分をした行政庁を被告とすべき旨を定めている理由はなにかと考えるに、右の訴訟については、目的たる行政処分をした行政庁が当面の責任者であるところから、これを当事者として訴訟を担当、追行させることが証拠の蒐集資料の提出その他訴訟の追行上必要な行為をするについて最も適切、便宜であるからというに尽きるのである。けだし、行政処分をするのは行政庁であるけれどもそれはもとより行政庁が国の機関としてするのであつて、これによつて生ずる法律機関の主体は行政庁ではなく、当然常に国であることはいうまでもないところである。従つて行政処分の取消又は変更を求める訴においては、その処分による法律関係の主体たる国を相手方とすることこそ、むしろ、理論にかなうものであるのに、理論に反して処分をした行政庁を被告とすべき旨定めているのは、前記のような便宜的考慮のみにもとずくと解するのほかないからである。こういうわけであるから、行政庁を被告とすることはいわば形式的に当事者とするのであつて、国の行政庁をとらえることによつて実質的には国を当事者としているのである。だからこそ、特例法は第七条で、原則として、被告たる行政庁を変えることを許し、第一二条では、確定判決が関係行政庁を拘束することを定めておるのであり、また行政庁はかかる訴訟について法務大臣の指揮を受けるものとされるところ(国の利害に関係ある訴訟について法務大臣の権限等に関する法律第六条)、その法務大臣はそもそも国を当事者とする訴訟については国を代表し、訴訟を実施するものなのである。これ、ひつきよう、行政庁を被告とし、あるいは国を被告とするといつても、実質上の訴訟主体はともに国であることにおいて異るところのないことを示すものというべく、その関係は全然人格を別にする当事者甲乙の二者のそれと同一にみることはできない。

以上みたところから考えれば、控訴人が、これまで厚生大臣を相手方としていたのをやめて国を相手方にしようというのは、実質的にはなんら当事者を変更するわけではなく、請求及び請求の原因の変更と同時に相手方当事者を国にしようというならばこれをゆるすべきものである。

この意味において厚生大臣は、当然に、本件訴訟における被控訴人(被告)たるの地位を失うことになるわけである。

第二厚生大臣の皇居外苑使用申請不許可処分は違法である。

控訴人が労働組合および職員組合をもつて組織される勤労者の団体として我国最大の規模を有するものであり、別紙目録記載の労働組合および職員組合をもつて組織されていること、控訴人の主催する中央メーデー式典が我国におけるメーデーの代表たるものであり、控訴人が昭和二八年五月一日皇居外苑において、参加人員三十万人の予定で中央メーデー式典を催すため、昭和二八年一月三〇日、皇居外苑の管理者たる厚生大臣にたいし、同年五月一日午前八時から午後四時までの間、右メーデー式典の会場として皇居外苑二重橋前広場を使用するについて、厚生省令国民公園管理規則(以下規則という)第四条にもとずく使用許可申請をし、厚生大臣が同年三月二三日右使用を許可しないことを決定してその旨を控訴人に通知したことおよび皇居外苑は国の所有であり、国有財産法第三条第二項第二号の公共福祉用行政財産として国が設置した国民公園の一つであり、厚生大臣は昭和二四年五月三一日厚生省設置法の公布施行と同時に前記規則を公布し、同年六月一日から施行し、現在これにもとずいて皇居外苑を管理しているものであることはすべて当事者間に争がない。

ところで、国有財産法第三条第二項第二号によると、公共福祉用行政財産は、国が直接公共の用に供した国有財産であり、同法第一三条によれば、国が公共福祉用行政財産とする目的で財産を取得し、公共福祉用行政財産以外の国有財産をこれらの財産にしようとするとき、または公共福祉用行政財産の用途を廃止しようとするときは、国会の議決を経なければならないものであつて、皇居外苑が国民公園として公共の用に供されているのはこれら国有財産法の規定にもとずくものであり、規則は右国有財産法ならびに厚生省設置法により、厚生大臣の所管となつた皇居外苑の管理方法、すなわち保存、運用の方法を定めたものに過ぎない、右規則第四条は、皇居外苑(国民公園)内において、集会を催し、または示威行進を行おうとする者は、厚生大臣の許可を受けなければならないとする規定であるが、このように公共福祉用行政財産として国において直接公共の用に供した皇居外苑を、集会または示威行進を行うために使用することは、外苑の一部をある時間内、一般民衆の遊歩、散策、休息、慰安などから遠ざけ、外苑の一般的利用を制限することとなり、また公園本来の規模施設態様等に規定されるその実体に影響を及ぼすことがあり得るところから、管理の必要上これを管理者たる厚生大臣の許可にかからしめたものである。従つてその許否は管理者の単なる自由才量に委ねられた趣旨ど解すべきではない。厚生大臣は外苑の公共福祉用行政財産たる性質にかんがみ、また、その規模と施設とを勘案しその公園としての使命を十分達成せしめるよう考慮を払つた上、その許否を決しなければならない。もしこれを誤ればその処分は違法たるを免れないのである。

よつて、本件不許可処分の当否について考えるに、原審証人森本潔、同田村剛の証言を綜合すると、皇居外苑はもと皇室財産であつたが、昭和二〇年一一月、財産税法の施行と同時に国に物納されたもので、この外苑は徳川時代の江戸城の一部であり、明治以降は静穏な皇居の前庭として設けられたいわゆる装飾広場であり、現在は一般国民の休息、観光、散策などに利用されているものであることが認められる。またこの皇居外苑は、昭和二二年一二月二七日の閣議決定をもつて、すみやかに文化的諸施設を整備し、その恵沢を国民の慰楽、保健、教育等国民福祉のために確保し、平和的文化国家の象徴たらしめることとし、国が直接管理し、ひろく一般国民の用に供し、利用、運営および文化的諸施設の整備については、委員会を設置して綜合計画を立てること、差当り国民的利用に開放するため、野外ステージを中心とする国民広場を設置し、各種行事、運動競技に使用せしめる旨が定められ、この趣旨にもとずき、旧皇室苑地運営審議会は審議の結果昭和二四年四月二〇日由緒ある沿革を尊重し、つとめて現状の回復、保存をはかる、各苑地の特性を活かし、国民生活に適合した整備運営を行う、その特性に照らし、これと関連のない施設はもうけない、国民広場として公開する、差当り、照明、管理所、水呑場、便所等を整備するなどを答申したこと、政府は、この答申中、国民広場として公開するという点については別に方途を講ぜず、単に普通の公園として公開してきたものであり、東京都知事が管理していた昭和二一年から昭和二三年までおよび厚生大臣の管理に属するようになつた昭和二四年、二五年についてはメーデーのための使用がいずれも許可されたことは被控訴人の自ら主張するところである。してみれば、皇居外苑が昭和二〇年一一月国有財産となつて以来、政府は終始一貫して一般国民の福祉のためこれを公開する方針をとり、国民広場あるいは国民公園としてメーデーその他国民の各種集会のための利用に供してきたものであり、外苑が昭和二四年五月三一日厚生大臣の所管となり、規則の制定された後においても、メーデー挙行のためその使用が許されたものであることが明白である。

そしてこれらの事実と原審証人野本正三の証言により認められる、メーデーは労働者の祭典であり、労働者の団結権、表現の自由を保持するとともに労働者の団結の姿を内外に示すことを目的とする平和的、民主的な行事である事実とを綜合すれば、皇居外苑においてメーデーを挙行することは、少くとも昭和二一年から昭和二五年までは国民の厚生利用を阻害し、または外苑管理上、支障をきたすものとは解されず、むしろメーデーの挙行は公園設置の趣旨に反しないものとされて、その使用を許可され来たつたことを肯定するに十分である。

被控訴人は、本件不許可の理由として、規則第四条の許可については昭和二五年六月二二日、政治的または宗教的目的を有すると認められる集会、示威運動については許可しないという方針を定め、さらに昭和二七年三月一一日の閣議了解をもつて政治的または宗教的目的を有しないと認められる集会、行進等であつて、その使用が小区域かつ短時間に限るもの、および国家的性質をもつ集会、行進その他の催物、行事にして、いずれも皇居外苑を使用することが適当と認められるもの以外は原則として許可しないことと定め、その後昭和二七年五月一日の騒擾事件発生後においては、原則として国家的行事以外のものには使用しない取扱をしてきたものであるところ、控訴人主催のメーデーは、勤労者全般の祭典とはいえず、勤労者の行事であるに止まり、国民的行事ではなく、しかも明らかに政治的目的を有するものであるから、右の方針にてらして不許可としたのであると主張するけれども、かかる方針のもとに皇居外苑使用の許否を決することは、外苑の国民公園としての用途を法律によらずして制限するものであり、この取扱が、内閣の了解事項であつたにせよ、かかる方針のみによつてはメーデー挙行のためにする皇居外苑使用申請を不許可とすることはできないものといわなければならない。

被控訴人はまた、皇居外苑二重橋前広場は、小区域とはいえないが、それでも約九千四百坪に過ぎず、坪当り六人の計算としても約五万六千四百人の収容能力しかなく、参加予定人員全部を収容できない。これを収容しようとすれば、車道、苑路及び立入禁止区域にまで充満し、その人員、使用時間から見て、相当長時間にわたり、公衆の本来の使用が害され、当然芝生、樹木、その他工作物等の損傷が予想され、紙屑、その他の塵埃は莫大な量に上り、整理には多大の労力と費用を要することとなり、保存管理についていちじるしい支障を来すことになると主張する。

しかし、二重橋前広場は野外の広大な苑路の一部であつて、皇居外苑には芝生土手等一般の立入を禁止した区域以外になおかなり広い苑路があり、(原審証人森本潔の証言及び答弁書添附の図面参照)参加人員を建物その他の建設物中に収容する場合と異なり、集会場としては相当融通性のあるものであることおよび参加予定人員はあくまで予定人員であつて、現実には必ずしもそれだけの人員が集まるとは限らないこと(成立に争なき甲第三号証には、約三十万人と推定されるとある)を考えると、控訴人の使用申請区域である二重橋前広場だけでは狭きに失するきらいがないではないとしても、少くとも一般立入禁止区域にまで充満しなければ収容しきれないものとは断言できないところであるから、これをもつて直ちに外苑管理に支障を来すものとは解せられない。

また成立に争のない乙第四号証の一、二によれば、被控訴人のいうとおり、昭和二五年のメーデーにおいては、参加者の集合により、芝生、樹木、その他の工作物等が多少損傷され、紙屑、その他の塵埃が散乱してその整理につき相当の費用を要したことを認められるけれども、昭和二五年のメーデーにおいて右のような不都合があつたからといつて当時と参加人員も異なり、外苑整備の状況もちがう昭和二八年のメーデーにも同様なことがくり返されるとは限らず、原審証人野本正之の証言によれば、控訴人はもし本件皇居外苑の使用が許可された場合は、樹木、芝生、工作物を損傷しないよう、あらかじめ参加各組合に徹底させ、また予算を計上して現場には三千人の警備員を配置してこれを注意させるとともに、その跡始末をもすることとしていたことを認め得るから、前記のような不都合はある程度防止し得るものというべく、しかもなお、なにほどかの損傷汚損の免れ難いものがあるとしても、国民公園として公共の用に供された皇居外苑の本来の目的にそう使用の結果であるかぎり、やむを得ないとすべきであつて、これが修理回復こそ管理者の職責の一部というべきである。そのことの故に右のような使用を許さぬとするのは事の本末をとりちがえたとのそしりを免れない。

また被控訴人は、昭和二八年五月一日の皇居外苑の使用については、控訴人と主義、主張をことにする訴外赤尾敏から使用許可申請があつて、不祥事態発生のおそれがあり、また三十万人の多衆が集合するメーデー式典は統制もとり難く、不穏分子の混入防止も完全には行いがたいと認められるので、治安上から見て許可しなかつたものであると主張する。証人森本潔の証言および同証言により成立を認める乙第三号証の一、二の各一、二によると、昭和二八年五月一日の皇居外苑使用許可申請者は控訴人と思想的、政治的主義主張をことにする大日本愛国党赤尾敏が愛国祭を執行するため、参加人員約十万人の予定をもつて外苑使用の許可を求めており、もし、これと控訴人の両者に許可を与え、これら反対的立場にある団体が相接触するならば、治安を害するかも知れない情勢のあつたことがうかがわれないでもない。

しかし、国民公園設置の趣旨に適合する使用許可申請が競合する場合にその一つのみ許可するの外なき状況と認められるときは、その使用の目的趣旨態容にかんがみて、より一層国民公園設置の趣旨にそう使用の申請をとつてこれを許可することができるのであつて、必ずしも先願者にのみ許可を与えるを要しないし、また五月一日メーデー挙行のため控訴人に使用を許すからといつて先願者である赤尾敏にも許さなければならないこととなる理由はない。またもし両者に許可を与えた場合に公園内における治安をみだすおそれがあつても、それに対しては治安行政の当局者が防止のために万全の措置をすべき責任を負うべきものであつて、しかもかかる事態がもし第三者の不当な挑発によるものとするならば、そのおそれがあるからといつて適法に公園を使用しようとする者にこれを拒否すべき理由はなく、万一そのような治安をみだす事態が現実に発生した場合にこれを鎖圧する方法として他にとるべき手段がない限り控訴人の外苑におけるメーデー挙行そのものを禁止解散せしめることの許されることはあるとしても、未だその事態の発生するかどうか分らない間にこれを禁止し得べきものではない。しかもこれらのことはすべて皇居外苑が本来国民公園として公共の用に供される趣旨にそうよう、その保存運用に当ることを職責とする厚生大臣においては、配慮の必要のないことがらである。また前掲証人野本正三の証言によれば、控訴人は本件メーデー挙行にあたつて前記のような三千人の警備員を配置して警備に当らしめるとともに参加団体の代表者からなる実行委員をして他の異分子の混入を防ぐ方途を講ぜしめ、かつ治安当局とも話合の上十分統制のとれるよう準備をすることにしていたことがうかがわれるところであるから、必ずしも控訴人主催のメーデー行事自体に治安をみだすおそれがあるものとはいい難く、万一これがその効力を生ぜず混乱の発生を見るとしても、それはもつぱら治安行政当局の責任に属することであり、公園管理者としての厚生大臣において考慮の必要のないことは前同様である。

なお、昭和二七年五月一日のメーデーにおいては、混乱事態が発生したが、同年度には皇居外苑使用を許可しなかつたことは明らかであつて、これをもつて昭和二十八年度に使用を許可すれば同様の事態をひきおこすということの根拠とするのは相当でない。

以上説示のとおり、被控訴人が本件不許可処分の理由として主張する前記各事情はいずれもその理由がないのみならず、これらの事情を総合して観察しても、未だこの程度においては本件使用が皇居外苑の国民公園として設置された趣旨にそむくものということはできず、これが使用許可申請に対し厚生大臣が不許可処分をしたことは、結局において、その管理権の適正な行使をあやまつたものとして、違法と断ぜざるを得ない。

第三本件不許可処分による損害について、国の賠償責任は認められない。

控訴人は、本件不許可処分のために、やむなく明治神宮外苑を借用してメーデーを挙行したところ、皇居外苑は国民公園であつて、無料であるが、神宮外苑は私有財産であり、無料では使えないので、控訴人は当日神宮外苑当局にたいし、苑地使用料金十万円を支払つた、これは厚生大臣の右不許可処分により控訴人に生じた損害であつて、この損害は国の公権力の行使に当る公務員たる厚生大臣が、その職務を行うについて故意または過失により違法に控訴人に加えたものであるから、国は国家賠償法により、賠償すべきものであると主張する。もし、厚生大臣が前項に説明したように、国有財産管理権の行使を誤らず控訴人にたいして皇居外苑の使用を許可したとすれば、控訴人は前記使用料金員の支出をまぬかれたはずであるからこの支出は、真実その事実があるとすれば厚生大臣の違法処分により控訴人に生じた損害と見てさしつかえないものである。

思うに、国家賠償法第一条第一項は「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる」と規定している。これは憲法第十七条に由来するものであるが、この法律においては公権力の行使に当り公務員が違法に他人に損害を加えたときでも、公務員がそれについて故意又は過失ある場合に限つて、国又は公共団体の賠償責任を認める立前をとつているのである。ここに故意とはその違法行為であることを知りつつ行うことであり、過失とはそのことを知り得べきに拘らず不注意により知らないことをいうものであることは明らかであるが、たんに客観的に違法行為がなされたということ自体によつて、直ちに故意又は過失あるものと推断すべきものではない。けだし、国又は公共団体の公務員が公権力を行使するに当つては、法令の定めるところにしたがつて適正にこれをなすべきことが一般に要請せられているのであるが、その公権力の行使が適法であつたか違法であつたかは、今日の制度上終局的には裁判所の判断によつて決せられるところであり、公権力の行使に当る公務員がその違法なことを知りつつ行う場合は論外としても、みずからは適法なりとの判断にもとずいてしたところが、裁判所の判断においては違法とされる場合のあることは明らかであつて、かかる場合にはその判断について過失があるかどうかを問題にしなければならないからである。しかもかかる適否の判断は、ことがらの内容によつて、時としてはきわめて微妙であり、結局には見解の相違というのほかなき場合もないことではないのである。もしその公権力の行使に当つて、公務員が尽すべき注意を尽し、しかもなおその判断において裁判所の見解と異なるものがあつたとすれば、これをしもなお過失とすることは失当といわなければならない。

いま本件についてみるに、厚生大臣は前記第二項に記載したような理由により本件控訴人の皇居外苑使用を拒否したものであるが、成立に争ない乙第四号証の一、二、原審証人森本潔の証言、同証言により真正に成立したものと認めるべき乙第一号証の三、四、同第三号証の一、二を綜合すると、当時の厚生大臣山県勝見は昭和二十五年六月以降は前記第二項に記載したとおりの外苑使用許可方針をたて、さらに昭和二十七年三月以降は閣議了解事項として許可の基準を定め、その取扱をしてきたものであつて、控訴人の本件許可申請についても、この取扱にもとずき、かつ本件皇居外苑の国民公園たるの趣旨にかんがみ、その規模施設体様等にてらして前記のような諸般の情況を検討して、控訴人申請の使用は、外苑の保存運用に支障あるものとの判断に到達し、これにもとずき不許可処分をしたものであることがうかがわれる。この判断は結果において当裁判所の容れるところとならず、当裁判所は、控訴人申請の使用は外苑設置の趣旨に反せず、これを不許可としたのは、適正な管理権の行使ではなくて、違法な処分であると判断するものであるが、この判断はきわめて微妙であつて、とうてい、一見明瞭のものということを得ないことは前記説明からおのずから明らかである。当裁判所の見解自体も必ずしも本件の第一審判決のそれと細部にわたつて一致するものでないことは現に見るとおりである。しかのみならず、控訴人は昭和二十七年度においてもそのメーデー挙行のため厚生大臣に皇居外苑の使用を申請し、その不許可処分に対し取消の訴訟を提起し、第一審たる東京地方裁判所は右不許可処分は違法であるとしてこれを取り消したのに対し、この事件の控訴審たる東京高等裁判所はその判決当時においてすでに右行政処分取消の利益なきものとしてその請求を棄却し、その上告審たる最高裁判所においては右控訴審の結論を支持するとともに、傍論としてではあるが、右不許可処分が違法でない旨を判示(昭和二七年(オ)第一一五〇号昭和二八年一二月二三日言渡最高裁判所大法廷判決)したことは、公知であり、したがつて当裁判所に顕著である。右昭和二十七年度の使用許可申請と本件のそれとは参集予定人員の多少、使用申請区域の広狭等にも差異あるものではあるが、ほぼ同種の事案に対して裁判所においても消極積極の説の分れたところからすれば、その判断の帰趨はまことに微妙であるといわなければならない。近き将来ある程度この種の事案に対する裁判所の判断が重ねられて、その適否の分れるところが明確化され、ここに一の客観的な基準が確立するにいたるならば、あるいは厚生大臣の判断の誤り自体が直ちにその故意過失を推断せしめるものとして、さしつかえないであろうけれども、いまの段階においてこれをあえてするは、しいて難きを求めるのきらいを免れない。かかる見地に立つて本件を見るとき、厚生大臣はその判断において過失あるものとは認め得ないものといわざるを得ないのである。

よつて控訴人がたとえ右違法処分によりその主張のような損害を受けたとしても、国はこれを賠償する義務はないものである。

第四結論

以上の次第で控訴人が被控訴人国に対し右損害賠償を求める本訴請求は、その余の判断をまつまでもなく失当であるからこれを棄却すべきものであり、訴変更前の被控訴人厚生大臣との間でなされた「請求却下」の原判決はこれを取り消すべきものである。よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十六条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 藤江忠二郎 判事 原宸 判事 浅沼武)

別紙目録<省略>

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